8ミリフィルムのアーカイブ・プロジェクト「穴アーカイブ」。
その一環として、「せたがやアカカブの会」というミニ鑑賞会&ワークショップが今春から定例で始まっています。
今回は11月9日に開催されたvol.5の様子を、せたがやアカカブの会・世話人の成田さんがお届けします。

みなさんはじめまして、世話人の成田です。「せたがやアカカブの会」には昨年から関わっています。
映像を通じて世田谷のかつてあった風景やエピソードを探りつつ、ワークショップには毎回あるものを用意して参加しています。
 



前半は前回にみた映像の振り返りを行いました。
「向ヶ丘遊園」に関する映像で、撮影されたのは1957(昭和32)年9月22日。
家族で向ヶ丘遊園に遊びに行った際に撮られた映像で、メインの被写体である子どもの背景には、
ロープウェーやウォーターシュート、動物園、池、野外ステージなど遊園の賑やかな雰囲気が映り込んでいました。
 



「アカカブの会」では、「映像にうつっている場所」をきっかけにして、その当時の風景がどんなものだったのか、
そして時代とともにどう変わっていったのか、調べたり、エピソードを伺ったりしています。
その時に頼りになるのが「地図」です。参加者の記憶をたどり、共有していくためのツールとして
Vol.1からワークショップの会場に地図を貼り出し、映像ごとに現地の地図をアーカイブしています。
 

 
出典 『川崎市北部明細地図.昭和37年』経済地図社 1962年



Vol.5では、向ヶ丘遊園の映像から気になる場所をピックアップして、当時と現在の地図資料を集めたり、
現地に実際に行ってみてわかったことなどを発表しました。
 

 
出典 『沿線案内:新宿小田急電車』小田急急行鐵道 1939年



映像では向ヶ丘遊園駅から豆汽車に乗って遊園に向かっています。
駅から遊園までは約1キロ。乗客限度はこどもで168人分だったそうです。
 


実際に同じルートをたどってみると、今はシンボルロードとして整備された遊歩道がありました。
豆汽車があった当時は桜並木や土手が続き、まわりはまだ住宅が建っておらず周囲は畑だらけだったようです。
今はマンションや住宅も建ち並び、歩道脇の用水路がひっそりと残っていました。
 



遊園跡地は現在敷地の一部が藤子・F・不二雄ミュージアムとなっていますが、
それ以外は柵に囲まれており、現在は活用されていません。
 


出典 『ゼンリン住宅地図』2016年



柵の向こう側に、遊具やプールの跡が見えたり、メインの階段が残っていたり。
ワークショップ参加の方の中には、閉園直後に前を通ったことがある方がいて、
「遊園には行ったことがないが、前を通りかかって気になって調べたら向ヶ丘遊園ということがわかった、
アトラクションがそのまま残っているのがショッキングだった」という声も。
 





行ったことがある方は、園内の地図を見ながら、ウォーターシュートやプール、花時計など
自分がかつて遊んだアトラクションや園内の様子を思い出しながら、現在の状況にも耳を傾けていたように思います。
 



戦後、昭和30年頃から家族連れの行楽やレジャーが一般的になり、
各電鉄の沿線には電車で行ける遊園が必ず一つはあったようでした。
 



また、当時の新聞記事を振り返ると、週末の夜に夜行列車に乗って長野などの行楽地へ向かい、
日曜の夜に帰って来るというように、みな良く働き良く遊んでいた、という話も出て来ました。
バケーションということばも出て来た頃。
夜行の電車はいつも混んでいて、立ったり、網棚に登って寝たり、床に新聞を敷いて座ったり。
実際に記事の写真のような待ち時間を過ごしていた方もいたようです。
 



場所に対する記憶や体験は、人それぞれで、同じ人でも当時と今ではだいぶ異なります。
ワークショップの中で複数の人が各々の場所に対するエピソードを共有していくことで、
いつもみていた景色がなんだか違ってみえたり、自分とは関係がなかったけれど行ってみようと思えたり。
そこには1人で映像を見たり、地図を調べたりするときとは違った感覚や気づきがあります。
映像をみて、そこに映っていないものをみるという作業を参加者のみなさんと積み重ねて行くなかで、
複数の視点が交わり、今までにない風景が立ち上がってくる瞬間、
それも「アカカブの会」ならではの時間と体験なのではないでしょうか。
 



後半は昭和39年に撮影された「新幹線」の映像を上映しました。
 



東京駅から新大阪駅までの車窓からの風景が続きますが、
何しろ新幹線なので「映像にうつっているもの」も一瞬しか見えなかったり。
「高速道路と新幹線が交わる場所が見えたが、これはどこだろう?」や
「京都タワーのようだけど、ちょっと違う、これはなんだろう?」
といった様子で、何度も映像を見返してはみたものの、次回の宿題となりました。
 



当時、新幹線は「超特急」という名前で呼ばれることが多かったとか。
確かに、昭和39年の新聞を見返してみると「超特急」というワードが目につきます。
当時を知る人からすれば当たり前の言葉みたいなのですが、
「新幹線」という言葉でしか「新幹線」を知らない私たちには新鮮だったり。
 



次回vol.6の前半では「新幹線」の映像を振り返り、気づきや疑問をさらに深めて行きます。
後半は新規の映像として昭和39年「甲州街道、井の頭公園」(カラー/ 2分)を取り上げる予定です。
 


以上、アカカブの会・世話人の成田さんからのレポートでした。
映像から半世紀後の向ヶ丘遊園の様子や、「超特急」という今では聞きなれないキーワードも出てきました。
複数の視点が交わるアカカブの会。そんな交錯する場が、アーカイブをつくっていきます。
一見さん大歓迎、お気軽に足をお運びください。

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■次回告知

鑑賞会&ワークショップ
せたがやアカカブの会vol.6

日時:12月7日(水)19:00 – 20:30
場所:生活工房ワークショップルームA(三軒茶屋・キャロットタワー4F)
   参加費無料
 

*詳細はコチラをご覧ください。