〽母さんは 夜なべをして 手袋編んでくれた
──『かあさんの歌』(作詞・作曲:窪田聡)。1956年7月10日発行の『うたごえ新聞』で発表
完成までに多くの時間がかかる手編みは、手芸のなかでもとくに人の想いがこもるモノとして語られてきました。母親が夜なべした手袋は、その典型です。これに対して、戦後に普及した「家庭用編み機」(家庭機)は、誰でも早く簡単に、きれいに編めることが目指されたプロダクトです。
家庭機は、1950年代後半から60年代にかけて流行しました。最盛期には年間100万台が生産されており、花嫁道具としても売り出されています。ミシンと並ぶ定番の家庭用品であり、またニット製品を量産するための仕事道具でもありました。しかし既製服が一般化すると、編み物は「作るもの」から「買うもの」へ、「家事」から「趣味」へとシフトしていきます。やがて家庭機は、徐々にその姿を消していきました。
本展では、各時代の家庭機や編み物、雑誌等の資料を糸口に、この家庭用品を中心に編成された「暮らし」と「編むこと」の関わりを辿ります。あわせて現在も家庭機を使用するニッターの作品も紹介。1923年に萩原まさが考案してはや100年、長らく忘れられてきた家庭用編み機の可能性を再考します。
〽My mother knitted gloves for me at night
──From “Kaasan no Uta” (Mother’s Song, music and lyrics by Satoshi Kubota), published in the July 10, 1956 issue of the Utagoe Shinbun
Hand-knitting, which requires long periods of time to complete projects, has been described as a handicraft that is particularly imbued with people’s emotions. It is exemplified by gloves knitted at night by mothers and handknit scarves that are presented to loved ones. By contrast, home knitting machines, which became popular in Japan after World War II, were designed to enable anyone to knit items quickly, easily, and beautifully.
In Japan, home knitting machines attained mass popularity from the late 1950s through the 1960s. At their peak, one million machines were produced annually, and they were also marketed as wedding gifts for brides. Along with sewing machines, home knitting machines were a standard household item as well as a work tool for mass-producing knit products. However, as ready-to-wear clothes became commonplace, knitwear shifted from being “something to make” to “something to buy,” and from “a household chore” to “a hobby.” Eventually, home knitting machines gradually disappeared.
This exhibition traces the relationship between lifestyles and knitting with a focus on household items over the years, including knitting machines, knitwear, magazines, and other materials. The exhibition also introduces the works of knitters who use knitting machines. It reexplores the possibilities of long-forgotten home knitting machines 100 years after their development by Masa Hagiwara in 1923.
左:家庭用編み機(画像提供:Knittingbird)右:渋谷(現在の渋谷区渋谷2丁目17)にあったサンエス編物教場でのひとコマ
家庭用編み機(画像提供:Knittingbird)
作家プロフィール
編み物☆堀ノ内
編み物作家/ニットデザイナー。1967年生まれ。桑沢デザイン研究所を卒業後、グラフィックデザイナーに。2012年頃より「編み物☆堀ノ内」名義で編み物作家として活動開始。家庭用編み機を使用してニット作品を制作している。2018年よりMEDICOM TOYとのニットブランド“KNIT GANG COUNCIL”も始動。アーティストやギャラリーとのコラボニットも多く手掛ける。https://www.amimono.tokyo
編み物☆堀ノ内『猫のセーター』
近あづき
武蔵野美術大学在学中より編み物技法を用いて立体作品を作り始め、ファッションブランド「YAB-YUM」2010-11AWコレクションにて「pipi-goldfish」名義で作品提供を行う。その後、複数の国内外ブランドから家庭用編み機・手編みでのニッター業務を委託され、近年はCM・テレビドラマへの衣装提供、技術指導を行っている。2014年より黄金町AIR参加。黄金町芸術学校編み物教室を主宰している。
pipi-goldfish『ニットグローブ』
丹治基浩
慶應義塾大学卒業後、イギリスのノッティンガムトレント大学 MAニットウェアデザイン科を首席で卒業。卒業後、様々なメゾンにニットテキスタイルを提供するAcorn Conceptual Textilesに勤務。2012年に帰国し、ファッションニットブランドMotohiro Tanjiを設立。2015年紅白歌合戦のMISIAの衣装製作、2021年パラリンピック閉会式の舞台美術としてニット製作を担当するなど、多岐に渡り展開している。
丹治基浩
宮田明日鹿
1985年愛知県生まれ、三重県拠点。桑沢デザイン研究所卒業。ニット、テキスタイル、改造した家庭用電子編み機、手芸などの技法で作品を制作。自分や他人の記憶を用いて新たな物語を立ち上げ、顧みることなく継承されてきた慣習や風習に疑問を投げかけている。近年では、手芸文化を通して様々なまちの人とコミュニティを形成するプロジェクトを各地で立ち上げている。
宮田明日鹿『町を編む』展示風景(2015)
LOVE it ONCE MORE
余剰糸や寄付糸を使用したニットアイテムを展開するアップサイクルブランド。デザイナーはMaro Kuratani。神戸市生まれ、大阪文化服装学院ニットコースを終了後、企業のニットデザイナーを経て独立。2019年に「LOVE it ONCE MORE(ラヴィットワンスモア)」を立ち上げる。ヘッドスカーフにもなるストールは、家庭機も用いたオールハンドメイド。
knitting scarf "Your winter lover" © LOVE it ONCE MORE
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