8ミリフィルムのアーカイブ・プロジェクト「穴アーカイブ」。

その一環として開催している「せたがやアカカブの会」では、
すでにデジタル化した映像をじっくり
鑑賞しながら、アーカイブをつくる準備をしています。

今回は2月15日に開催したvol.8の様子を、せたがやアカカブの会・世話人の八木さんがお届けします。





世話人の八木です。


vol.8ではまず、前回(vol.7)で取り上げた「下北沢・商店街」(昭和44年/モノクロ/1分)の映像を観ながら、
参加者のみなさんとともに振り返りました。

 

今回も参加者のみなさんには、世田谷区・下北沢駅前の映像をみて思い出したもの、
気づいたことなどにまつわる「モノ」や「情報」を持ち寄っていただきました。



そのなかでも注目を集めたのは、終戦直後の連合軍占領下の日本へ、
調査のために赴任したアメリカのある鳥類学者が撮影したという下北沢の写真でした。


写真は、以下のURL(リンク)より公開されています(2017年3月2日現在)。
Tokyo Mapped · The Oliver L. Austin Photographic Collection

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/tokyo-mapped


昭和44年の映像よりも、さらに20年ほど前の下北沢の様子です。
闇市だった頃の名残のようなものもみられ、いろんな記憶や憶測が語られました。



下北沢の映像にちなんで私は今回、下北沢にまつわる戦後からの新聞記事をいくつか集めました。
記事を時系順にならべると、下北沢の街のイメージが変わっていく様子がみえてきます。


昭和30年代から40年代にかけては、庶民的な市場や商店街の様子を伝える記事や、火事や暴力事件の記事が目立ちます。


転機になったのは昭和50年代のなか頃、本多劇場という小劇場がオープンしたことです。
それ以降、若者文化の街として地価が急上昇するなど、下北沢のイメージが現在のそれに近いものになっていきます。

 

新聞といっしょに過去の住宅地図もみながら、街の変化を感じつつ話が展開していきます。
この日は、世田谷区内の複数の繁華街にかつてあった、小さな映画館のことへと話題は転がっていきました。

 




今回個人的に面白かったのは、
ある参加者の方が、かつて下北沢に「日本学習センター」という名前の学習塾があったというお話をされていたことです。


この話を聞いて私は、自分の子ども頃にあった近所の塾やそろばん教室のこと、
そして、街の小さな個人経営なのに名前だけは「誇大な」お店のことなどを思い出していました。

 

下北沢の話を聞いているのに、その瞬間、私の頭のなかには大阪のある街の風景がひろがっていました。

 

時間や空間をうろうろしながら、参加者のみなさんが提供する知らない話題やモノに驚きながらも、

みんながゆるくつながっていることを感じる場が、アカカブの会の面白いところだと思いました

 



映像をみて、気づいたことや思い出したことを喋り合い、
そしてそれぞれがみんなに見てほしい、聞いてほしいモノを持ち寄る。


アカカブの会をとおして、映像にうつっていない記録と記憶がたくさん集まりました。




 

 

後半の時間ではこれまでの振り返りも行う予定でしたが、話が盛り上がり過ぎて?次回に持ちこしとなりました。

 

*

 

以上、アカカブの会・世話人の八木さんからのレポートでした!

次回は、持ち越しとなった今年度の振り返りを行う予定です。
アンコール上映もいくつか予定しています、どなたでもお気軽にお越しください。


■次回予告

鑑賞会&ワークショップ
せたがやアカカブの会vol.9

日時:3月8日(水)19:00 – 20:30
場所:生活工房ワークショップルームB(三軒茶屋・キャロットタワー4F)
   参加費無料
 

*詳細はコチラをご覧ください。