2024年1月21日まで開催している「あみきをほどく 家庭用編み機の展覧会」。
会場に設置したアンケートでは、家庭用編み機に関する思い出を募集しています。
ここでは、たくさんの方にお寄せいただいたエピソードのなかから、
本展の担当者・Sが、14本ピックアップして世代順にご紹介。
会場写真とともにご覧ください。
(撮影:新井智子)
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エピソードその1
美容室を営んでいた祖母が40年ほど前に使用していたそうです。
「機械はニガテなの」と早々にあきらめ、いまは手編みをこよなく愛しています(20代)
エピソードその2
編み機を実際にみたのははじめてです。
幼いころに買ってもらった“おしゃレッグ”で作ったレッグウォーマー。
楽しさがやみつきで今もつかってます。
発売されたのは20年前ほど(30代)
エピソードその3
ディズニーハロウィンの衣装を編み機を使って高速で編み、着て行きました。
手編みでは間違いなく間に合わなかったので良かったです✌(30代)
エピソードその4
近所のおうちの奥様から、処分に困っているからといって、使わなくなった編み機をもらいました。
使い方を学びたいが、機会が少ないので再び流行ってほしい(30代)
エピソードその5
幼いころにリリアン編みマシーンをクリスマスプレゼントとしてもらったことを思い出しました。
ひたすらにまっすぐと編めるのが楽しく、心からわくわくしました(30代)
エピソードその6
子どものころ、編み機のおもちゃのCMを見るたびにおねだりしましたが、買ってもらえませんでした(40代)
エピソードその7
リリアン編みがハンドル式でできる“いち・ニット・さん”というおもちゃをクリスマスプレゼントで買ってもらいました。
すごく嬉しかった記憶…♡(40代)
エピソードその8
中学生の時、学校のミシンで手を縫って以来、母はサイホウホウキ。
代わりに編み物の人となりました。
私が幼少の頃は、洋裁をする人とブツブツ交換していたそうです(60代)
エピソードその9
1960~70年代に母親が自宅で使っていました。その頃はほとんど服は母の手作りでした。
セーターもほどいてお湯で煮て?、伸ばして干して、両手を使って毛糸をまとめるのを手伝いました。
編んでる途中に毛糸がハンドルにからみ、苦戦していた事を思い出しました。
“月賦”というワードなつかしいです(60代)
エピソードその10
母が萩原学園~白萩学園?に在籍し、教えてもいました。
編み機の音なつかしい。
認知症も進みましたが、(一緒に見ながら)あれこれ昔の話をしていました(娘60代/母80代)
エピソードその11
1955~67年(5~12歳)、北海道釧路市で育ちました。
母がスピードという編み機を習って、三人兄弟のすべてのセーター、カーディガン、レギンス、帽子、手袋を編んでくれていました(70代)
エピソードその12
母が夜遅くまでジャーッ、ジャーッと編んでいたっけ。
良い機種が出るたびに買い替えて、編込もようだの、レース風の懐かし編みだの、どんどん高度な作品にチャレンジすることが楽しかったみたい。
娘の私も得意になって学校に着て行きました。いつ頃くらいかなー、
母の機械編みセーターをダサいと思うようになったのは…(70代)
エピソードその13
おもたい。
編み機を持ってバスにのり、おもくて、とうとう下におろして、又持ってバスにのり、池尻の会場まで行きました。
くつ下、手袋等を編み、楽しかったです(80歳以上)
エピソードその14
S30年~当時、結婚適齢期の結婚準備の品に編み機が含まれていた。
親のすすめもありリストに加え、手ほどき講習を受けた記憶がある(80歳以上)
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ネーミングが秀逸なおもちゃの話から、母や祖母、そして自分自身の話まで、
およそ三世代にわたるエピソードをご紹介しました。
会場では、当時の社会状況にも触れながら、家庭用編み機の歩みを辿っています。
展覧会は今月21日が最終日です。
最終週末の3日間(19~21日)は、Knittingbirdの出張毛糸屋さんもオープン。
手編みスペースも開放しているので、「編みかけ」をお持ちの方は、ぜひお立ち寄りください。
あみきをほどく 家庭用編み機の展覧会
https://www.setagaya-ldc.net/program/580/