平野太呂(写真家)

1973年、東京生まれ。2000年よりフリーランスとして活動を開始。スケートボードカルチャーを基盤にしながらも、ファッション誌や広告などで活動。2004年から2019年までオルタナティヴなスペースNO.12 GALLERY主宰。多くのインディペンデントな作家達が展示をする場所となった。著書に『POOL』、『ばらばら』(共著・星野源)、『東京の仕事場』、『ボクと先輩』、『Los Angeles Car Club』、『The Kings』、『I HAVEN’T SEEN HIM』など。https://www.tarohirano.com/


父・平野甲賀が制作した「子どもザウルス」の看板 撮影:平野太呂

 

 

 当時、平野家が住んでいたマンションは世田谷の馬事公苑のほとりに建っていました。学校から家に帰り、玄関のノブに木彫りの看板がぶら下がっている事がありました。そこには「子どもザウルス」とか「あめの会」と父の文字で書いてあります。そうなると、家の中に近所の子どもたちがワーっといるので、僕はやや気後れしながらの帰宅となるのでした。母・平野公子がお面をかぶりながら身振り手振りでお芝居をしていたり、本を読んでいたり。少し恥ずかしかった気持ちを覚えています。


 セタガヤママ(店主・大橋正子さん)というか大橋家に遊びにいった事はよく覚えていて、大橋家の中を駆けずり回って遊んでいました。目の前にあった空き地のような公園で行われたマーケットでは家で仕込んできた味付け玉子を売りました。1個50円で売っていましたが、祭りの終盤、勝手に値下げして1個5円で売ってしまい呆れられたのはいい思い出です。


 僕は2004年から15年間、若いアーティスト達が展示できるようなオルタナティブスペースを運営してきました。現在は友人達に声をかけて釣りに関する同人誌を発行しています。フォトグラファーという本業の他にこうして色々やってしまうのはきっと、あの時の母達を見てきたからなんだろうな。たまにそう思うのです。

 

 


左:母・平野公子や田上正子さんなどが主宰したあめの会の会報誌『あめの会通信』(謄写印刷、1982年10月、No.9)

右:小学生のときに『あめの会通信』へ寄稿した「たろの紙芝居②」(原画)

 

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展覧会
続・セタガヤママ 小さなメディアの40年
https://www.setagaya-ldc.net/program/552/

会期:2023年1月31日(火)~4月23日(日)

9:00~21:00 祝日をのぞく月曜休み