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三角地帯を歩く | 古地図でめぐる三角地帯
三軒茶屋の過去と、それぞれの思い出を訪ねて
続いて訪れたのも、三軒茶屋周辺に数多く存在した「戦後マーケット」の名残を残す場所。茶沢通りの始点と、国道246号線が交わるところに位置する「ブンカビル」です。
終戦直後、この場所に「文華デパート」というマーケットが建設されました。1948(昭和23)年の地図を見ると、木造平屋建ての建築物で、お菓子屋さん、玩具店、カバン店など、日用品を取り扱うお店が入居していたことがわかります。そんな文華デパートですが、1974年に不審火によって焼失。その跡地に建設されたのが、現在のブンカビルなのだといいます。
現在は、カフェやドラッグストア、不動産店などが入居している
ブンカビルを出たあとは、国道246号線を栄通り側に横断。一行でカラオケ館 三軒茶屋店のビルの脇で足を止めました。
そこで語られたのは、1964(昭和39)年に開催された東京オリンピック前後に実施された国道246号線の道路拡張事業の影響です。「この事業により、さまざまな商店が移転を余儀なくされた」と金谷さん。
現在、栄通り商店街で営業をつづけている甲文堂書店もそんな商店の一つです。「同書店は戦前から存在し、戦禍に巻き込まれたものの、戦後に復活し大山道(現在の国道246号線)沿いに店を構えていました。そして道路拡張事業により移転し、現在の位置に」と金谷さんが説明したところで、参加者から「甲文堂さんは、実は2回移転している」との声が。
いわく、「道路拡張事業の後、現在のカラオケ館三軒茶屋店がある場所にあったビル内に移転し、その後再び移転する形で栄通り商店街に移ったはずだ」。参加者からこのような貴重な証言が飛び出すことも、街歩きの醍醐味の一つなのかもしれません。
その後は、2014(平成26)年7月に閉館した三軒茶屋シネマ前に移動。
ここでは1925(大正14)年に開業した駒澤電氣館に端を発する、三軒茶屋における映画館の歴史が語られました。駒澤電氣館が東京大空襲で焼失した後にオープンした三軒茶屋映画劇場と1952(昭和27)年に開業した世田谷中央劇場(後に三軒茶屋中央劇場に改称され、2013(平成25)年に閉業)、そして1954(昭和29)年に開館し、1997(平成9)年に三軒茶屋シネマへと名前を変えた三軒茶屋東映劇場……。
参加者のみなさんは口々にさまざまな劇場とそこで見た作品名を挙げながら、三軒茶屋における映画の思い出を語り合っていました。
そんな街歩きもあっという間に終盤へ。現在はさまざまな飲食店が軒を連ねるゆうらく通りを経て、最終目的地である「エコー仲見世商店街」にある、器ギャラリー「絵れ菜Tokyo」に到着。迎え入れてくれたのは同店の店主であり、三軒茶屋仲見世商業協同組合の事業部長を務める村上大輔さんです。
先日のトークイベントでもふれた通り、村上さんの祖父はかつてエコー仲見世で「大野カバン店」を営んでおり、村上さんにとって三角地帯とエコー仲見世は「ふるさと」そのもの。「一度はこの町を出て、会社勤めをしていたものの、いつかは大好きだったこの商店街に戻りたいと考えていた」という村上さん。念願叶って「絵れ菜Tokyo」をオープンさせたのは、2023(令和5)年のことでした。
そんな村上さんから、エコー仲見世や三角地帯の移り変わりをうかがい、今回の街歩きイベントは幕を閉じました。
三軒茶屋という街は、あるいは三角地帯というエリアはいまも変わり続けています。古い地図や写真と現在の街の姿を重ね合わせて見たときに実感したのは、何気なく歩いているこの街はさまざまな変化の結果としてここにあること、そして「現在」もまたその変化のただ中にあることでした。
その変化がどこに向かっているのかは、誰にもわかりません。約100年前、台東区から移り住み、下の谷商店街をつくった人々やちょうど同時期にオープンした駒澤電氣館で映画を観た人々は、その100年後、街歩きイベントの中で自らが生きたその場所が「過去」として触れられることになるなど、想像だにしていなかったでしょう。
現在の三軒茶屋と三角地帯もまた、私たちにとっての「思い出」として、誰かにとっての「過去」として、語られる日がやってくる。そんなことを考えながら歩く街の姿は、チラチラと降り続けた雪のせいもあってか、いつもよりも少しだけ輝いているような気がしました。
過去から今につながって
いるんだね
今もいつか思い出に
なるんだね
Supported By
ライター:鷲尾諒太郎(大三角地帯編集部)
写真:生活工房
クラシー&カワルン イラストレーション: にしぼりみほこ

