Report

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東京スーダラ2019

ー希望のうたと舞いをつくるー

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Introduction

2019年、東京における希望のうたと舞いとは何か?
作家たちの制作に至る経緯や、年間を通して行ってきたリサーチ・ワークショップについて、会期中開催したギャラリーツアー&レクチャーからたどります。

作家
瀬尾夏美・小森はるか・砂連尾理
プロジェクトアドバイザー
小屋竜平
リサーチャー
太田遥・小林功弥・安富奏・吉立開途

小森 はるか + 瀬尾 夏美 (こもり はるか + せお なつみ)

映像作家の小森と画家で作家の瀬尾によるアートユニット。2011年3月、ともに東北沿岸へボランティアに行ったことをきっかけにして活動開始。2012年より3年間、岩手県陸前高田市に暮らしながら制作に取り組む。2015年、仙台に拠点を移し、東北各地で活動する仲間とともに、土地と協働しながら記録をつくる組織、一般社団法人NOOKを設立。現在も陸前高田での制作と対話の場づくりを活動の軸にしながら、全国各地での発表やリサーチも行っている。
http://komori-seo.main.jp/

砂連尾 理(じゃれお おさむ)

振付家・ダンサー。1991年、寺田みさことダンスユニットを結成。近年はソロ活動を中心に、ドイツの障がい者劇団ティクバとの「Thikwa+Junkan Project」、京都・舞鶴の高齢者との「とつとつダンス」などを発表。また宮城・閖上(ゆりあげ)の避難所生活者への取材が契機となった「猿とモルターレ」では瀬尾夏美、小森はるか等と協働する。著書に「老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉—ダンスのような、介護のような—」(晶文社)。立教大学現代心理学部映像身体学科特任教授
https://www.jareo-osamu.com/

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プロジェクトが生まれる背景

「東京スーダラ2019 —希望のうたと舞いをつくるー」は、絵と文章をつくるわたし、瀬尾夏美と映像作家の小森はるかに加え、ダンサーの砂連尾理さんの3人が中心になって進めてきたプロジェクトです。

元々、小森とわたしは大学の同級生で、東京に暮らしていた2011年、東日本大震災に直面しました。当時は、一人ひとりが震災に何らかの形で向き合い、その意志や決断を問われるような状況だったと記憶しています。何をしたらよいのか、どうしたいのかさえわからなかったわたしは、まずは震災の現場を自身の目で確かめたいと思い、小森と一緒にボランティアとして東北に向かいました。
そこで、大変な状況にありながらも、震災で亡くなった人たちの思い出やいまはない街の風景、自身の揺れ動く気持ちについて語ってくれる人たちに出会いました。その時に預かった大切な言葉や想いを、自分自身がどのように引き受け、誰かに渡すことができるのかをじっくり考えたいと思い、2012年から3年間ほど岩手県の陸前高田で暮らしました。その後、地域住民としてではなく、旅人として人や街に関わり、作品をつくることで、この地で暮らす人たちの持つ技術や風景の変化を伝えたいと思い、拠点を仙台に移しました。現在も仙台に暮らし、陸前高田に通いながら街の人たちと一緒に作品をつくっています。

被災した街の風景が荒野のように広がっていた状況から、街の痕跡を解体する土木工事を経て、嵩上げがあり、その上に新しい街が出来ていきました。2017年頃には、家々が建ち始め、街の人々は「仮設」ではない暮らしを再開していくフェーズになりました。
被災された人たちの多くが、自分たちの暮らしをどんどん前に進めていく時期になり、陸前高田では、徐々に震災について語り合う機会が減っていきました。一方で、関西や東京にわたしたちが出向くと、そこで出会う人たちに、「震災当時、私は何も出来なかったんです」と告白されるような機会が増えていました。震災から7~8年ほど経過した時期です。ちょうど被災した土地では、「仮設」ではない暮らしが始まろうとしている頃、被災地から遠く離れて暮らす人たちの気持ちがやっと表に現れ始めたように思います。その状況を受けて、「東京スーダラ2019」を始めようと思ったんですね。

始まりは、生活工房の天野さんがわたしたちの元を訪ねて来てくれたことでした。東京にも複雑な思いを抱える人たちが少なからず居て、未曾有の出来事であった震災について話す機会がないもどかしさやつらさを感じている、ということを知りました。そこで、わたしたちが東京に行って、実際どのような「場」をつくれるかを考え始めました。すでに震災から時間が経っていて、東京には東京の時間の進み方があったはず。いままさにオリンピックがやって来る、巨大な祝祭に向かって進むような状況で、いったい何をしたらいいだろうと考えました。
震災のことを直接的に考えるよりは、震災のショックを抱えたまま8年間東京で暮らしてきた人たち、もしくは東京に集まってきた人たちが、本当にいま考えたいことはなんだろうか、という問いを持って、現状を模索する中で、もう少し異なる「跳躍」の仕方ができないか、と考えました。震災から7~8年経過しているなかで、現場から遠い人たちが各々の立ち位置を見つけるためには、きっとユーモアみたいなものも必要だと感じていました。会話や書くことを通して丁寧に言葉を紡ぎながら、その過程にユーモアを引き入れていくうちに、何かポーンと「跳躍」ができるんじゃないかというイメージがあったんです。そこで、「跳躍」といえば砂連尾さんだとピンときて、一緒にプロジェクトに取り組むこととなりました。

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震災でつながった出会い

2003年頃から毎年、ダンスの仕事で仙台に通っていて、震災前の名取市閖上(ゆりあげ)などでもダンス作品を発表したりワークショップを開催していたので、名取や仙台にはとりわけ深い縁を感じていました。震災から半年たったころから2014年まで、避難所で暮らす人たちにインタビューを行いながらダンス作品や映像記録をつくるプロジェクトなども行い、その後、2015年の秋に小森さん、瀬尾さんと出会いました。

私たちの作品を神戸で上映する機会があり、そのアフタートークで砂連尾さんにご参加いただいたのが出会いで、その翌年から、砂連尾さんの『猿とモルターレ』という作品づくりに参加させていただくことになりました。

『猿とモルターレ』は、宮城・閖上地区の避難所生活者へのインタビューをもとにつくったダンス作品で、2013年に北九州、2015年に仙台、そして2017年に大阪で上演しました。このプロジェクトは震災のことを扱ったプロジェクトだったので、公演の際は必ず上演場所で暮らす人たちと共に震災について考えるという作業を行いました。そして2017年の大阪での上演では、私と同じように震災についてのアート活動を展開していた瀬尾さん、小森さんの他にも映像作家の酒井耕さん、そして震災時に福島で被災されたいしいみちこさん、そして彼女が教鞭をとる大阪の追手門学院高校の学生等にも加わっていただき、出演メンバーが30名を越す大きなプロジェクトになりました。この公演をきっかけに、瀬尾さん小森さんとも深く関わり合うようになり、その関係が『東京スーダラ』へと繋がっていったのです。

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植木等が歌い上げる、
スーダラ節がうかぶ

東京には多くのコミュニティがあり、様々な思想や年代、体験を持った人たちが暮らしています。そこで、まずは東京で実際に暮らす人たちと一緒に、東京を歩くことを始めたいと思いました。このプロジェクトでは、未曾有の災害と巨大な祝祭の狭間にある日々を見つめ、過去、現在、未来を地続きにつなぎ直していきたいと考えていました。そこで、そのための想像力と、揺れ動く日常を丁寧にまなざすためのワークショップを毎月行うことを軸にすえました。ヒントとして取り入れたいなと思っていたのが、砂連尾さんから提供された『スーダラ節』※でした。

※1961年発売、作詞は青島幸男、作曲は荻原哲晶
ハナ肇とクレージーキャッツ(ボーカル:植木等)による昭和の流行曲

そうですね。YouTubeでも観られるのですが、ちょび髭、着物にステテコ姿の加藤茶と植木等が団子屋で団子を食べるというコントで、植木等さんはほとんど言葉を発しません。でも、その身体の軽やかさを観た時に彼のようなコント又はユーモアな身体で生きるって、どういうことだろうなと気になって、瀬尾さんたちにこの映像をちょっと観て、と言ったことがきっかけでしたね。

それって何か面白いですね、という話になりました。それで、当時の時代背景を含めて調べていくと、この曲は1961年に流行したものなんですね。敗戦後、高度経済成長に向かっていくタイミングの流行歌として、スーダラ節が存在している。戦後日本が、ある種の矛盾を抱えながらもどんどん次に突き進んでいこうとする時期ですよね。当時、戦争によって、戦地に行った/行かない、家族を亡くした/無事だったなどと、様々な「当事者」たちがたがいの境遇を探り合い、関係性を気遣い合う「ぎこちなさ」の名残がまだあったのではないかと想像した時、戦地に行かなかった植木等さんは、いわゆる「当事者」とは思われない、微妙な立場にあった人物ともいえるかもしれません。彼がある種のアイコンとして軽やかにスーダラ節を歌い上げ、それに惹かれるたくさんの人たちがいた。この「スーダラ」のあり方に含まれるユーモアみたいなものを、いまの東京に置き換えてみると、一体どういう形として現れるのかを探ってみたいと思いました。
現代版のスーダラ節をつくろうというよりは、何かをポーンと横断してしまえるような身体とは一体どんなものか、そこにはどんな言葉が必要なのか、ということを考えたかったんですね。そうして、「東京スーダラ2019—希望のうたと舞いをつくるー」というプロジェクトが動き始めます。

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4人のリサーチャーたちとの出会い

この展覧会は二部構成になっていて、3階の会場にはこれまでに行ったワークショップの解説と、ワーク自体を構造化して、参加者が体験できるようにしたキットが置かれています。4階の会場は10ヶ月間のワークショップの中でつくってきたものや話し合ってきたこと、記録物などを構成したインスタレーションになっています。

展示に先立ち、2019年の4月、東京で暮らしている人たちと一緒にいまの東京を歩く、ということから何かを考えたいと思い、リサーチャーを募集しました。一緒に東京のことを考えて、おしゃべりしてくれる人を募集するという形です。この時点では、メンバーおよび作家の関心領域に基づいたリサーチを協力しながら行う。リサーチとして、主に誰かに会いに行き、その人に話を訊く、語る、書くことを行う、という設定になっています。この時、ちょうど平成の終わりの時期だったこともあり、平成生まれ限定という枠で募集を行いました。そこで20名程度の応募があり、さらにスカイプの面接を経て、4人のメンバーが選ばれました。

まず、安富さんは19歳で世田谷在住の美大生。当時から「震災」という関心を持っています。太田さんは27歳で香川県出身。オカルト好きのOLで関心は「老い」でした。吉立さんは30歳で神奈川県出身のプログラマー、関心は同じく「老い」。小林さんは23歳で広島県出身。関心は「フェアネス」でした。この4人が新たに加わり、東京を歩く仲間となりました。プロジェクトには、作家が3人いますが、その他に全体とプロジェクトの軸を通して見てくれる人が必要と考え、プロジェクトアドバイザーとして小屋さんに参加をお願いしました。

太田
年齢:27歳
出身:香川県
職業:OL
関心事:老い

安富
年齢:19歳
出身:東京都
職業:美大生
関心事:震災

小林
年齢:23歳
出身:広島県
職業:映像作家/ラッパー/ダンサー
関心事:フェアネス

吉立
年齢:30歳
出身:神奈川県
職業:プログラマー
関心事:老い

※公募時の年齢

リサーチメンバーの募集要項
内容
  • メンバーおよび作家の関心領域に基づいたリサーチを、協力し合いながら行います
  • リサーチの手法として主に、誰かに会いにいき、その人の話を「聞く」「語る」「書く」ことを行います
応募条件
  • 高校生〜30歳以下(2019年4月2日時点)
  • 月1〜2日程度の東京都内でのリサーチに参加できること
  • 人の話を聞くことが好きであること
  • 性別、経験不問

応募時 質問事項(一部)
  • 自己紹介文(400字以内)を記入してください
  • 下記の「キーワード」から自分の関心領域を1つ選んでください
まちづくり/コミュニティ/都市開発/土木/災害/社会運動/マイノリティ/移⺠/ 労働/経済/恋愛/結婚/ハラスメント/LGBT/ジェンダー/ひきこもり/依存/学び/教育/健康/福祉/差別/障害/老い/医療/病むこと/アート/文化/娯楽/ユーモア/メディア/SNS/その他

選択した「キーワード」について、「なぜ関心があるか」、「何が問題だと思っているか」を具体的に800字以内で記述してください。また、もしそれについて調べる時に話を聞きに行きたい人がいれば、名前と理由も教えてください。

クラシー
『スーダラ節』が流行したのは1964年の東京オリンピックの少し前だったんだねぇ
カワルン
1964年のオリンピック前と2020年のオリンピック前を重ねてみるとおもしろいね~