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絵との縁
「いい絵って何だ?」っていうトークをする相手として若木くんがいいと思ったのは、若木くんが撮った「星屑のワルツ」っていう映画で、おじいちゃんが絵を描いてたんですよね。おじいちゃんの絵をどう思ったのか聞いてみたいなと。ずうっと描いてたんですか?
そうですね、気づいた頃にはキャンバスみたいなのがいっぱいあって。買うと高いから肌着とかランニングシャツとかを木枠に張ってキャンバスにして、最初は油絵というかアクリルみたいなのを使って描いてたんですけど、だんだんコラージュっぽくなってきて。
そうだよね。
年齢とともに、細かいものを描くのは大変だから貼ればいいやみたいな、横着がコラージュとして成り立つ時期がやってくるんですよ。定年後は家庭菜園やって、昼に帰ってきてビール飲んで寝っ転がってる生活。そういう時に絵の題材をどうしてるかというと、新聞の折り込みチラシなんですよね。風景は、近所の草花とか昔行った所の写真とか覚えてる絵を頭のなかで合体しながら描いてるんです。そういう作業を「なにこれ」とか聞きながら見てて、子どもなりになんか面白いことをやってるんだなと思ってました。
それは若木くんがいくつくらいの時ですか?
小学生くらいから見てて、中学くらいから自分もアートみたいなのが好きになってきてたから、布を張ってキャンバスにしてるんだなあってわかって。張ってあるのが肌着だと絵を叩いた時に太鼓みたいに鳴るんですよ。物としての面白さも感じてました。
おじいちゃんはなんで絵を描きだしたんだろうねえ。
絵描きにはなりたかったみたいですね。戦前戦後、そういうことができるような状況でもなくて、貧乏でずっと働いてたから、絵描きになるって言ったら怒られたりしたみたいで。
なるほどね。どうしておじいちゃんの映画を撮ろうと思ったんですか?
僕らはレンタルビデオでがんがん映画を見始めてた世代で、映画って面白いなと。写真の参考にもなるし。見てるうちに、ハンディカムが買えるようになって、じゃあ自分でも撮ってみようと映像もずっと撮ってたんですよ、おじいちゃんの。そうするとだんだんやっぱり映像作品にも興味が出てきて。
映画館でフェリーニの映画を見て、ものすごい数のスタッフがいたりクレーンが動いてたりして、自分では絶対無理だなと思ってたんだけど、仕事を始めた頃に是枝裕和監督の現場を見せていただいて、割とこじんまり、カメラも肩で担いで撮ってて、こういう感じでも映画ってつくれるんだ、自分でもやってみたいなと。
写真集をつくる時、おじいちゃんとのエピソードをカードに書いてたので、それをまとめて脚本化したり、そういうことをちょっとずつやってたら、ある日映画を撮らないかって言われて、「いい脚本ありますよ」みたいな感じでとんとん拍子で進みました。
へー、なるほどね。あれ何年前だっけ、浜松市の美術館で大きい個展をやりましたよね。
もう7年くらい前になっちゃうかなあ。
あの会場こそ僕すごく楽しんだんですけど。あれも映像と写真と両方でしたもんね。確かに映像がすごい面白かった。
ああ本当ですか、そうなんです。2階を全部映像だけの部屋にして、下を写真にして。
自分が展覧会っていう形で何かを見せる場をつくる時、いろいろ考えるわけですけど、もちろん若木くんも作品を見せる時って考えますよね。単純に壁にかければいいっていうことでもないですもんね。
そうですね、でもインスタレーション的なことが考えられるようになったのって、本当にだんだんと、です。一番最初のパルコでの展示は何もわからず、作品を壁にかける時に一列か二列かっていうだけで迷うんですよね。そういうことを経験して、次はこんな感じでやろうっていうのが出来てきて、またそれも積み重ねで。ニューヨークに住んでた時、チェルシーにアートギャラリーが集まってきてた時期で、それを見てたことで自分のストックが増えていって、憧れのああいう感じでやってみよう、となっていったりするんですよね。常に上手くいかないなあって思ってやってるんですけどね。
なるほど。絵を描いてみようと思ったことはなかったんですか?
うーん。絵は上手くいかないですねえ。子どもの頃、テレビアニメばっかり見てたんで憧れてアニメーターになりたかったんですよ。でもちょっと試しに描いてみたら全然駄目で、すぐ諦めちゃったんです
僕も、学校の授業で絵を描くじゃないですか。その絵を上手いとか言われて飾られたり、市の何かで賞をとったりしてたんですよ。
そうなんですね、岡本さんの絵見てみたいですね。
いや、何も残してないですけど。
えー、何でですか?
自分としては全然何にも描けてないのに、いいって言われても、みたいな。
あ、なんかわかります、はい。
何を描きたいのかって聞かれると、特にないわけですよ。今日はこれを描きましょうとかさ、外に写生会に行くとかで描いたもののなかから選ばれるだけの話だから、そういうきっかけって、自分の内側からつくりだすっていう感じは全然しなくて、それがいいって言われても、うーん、わかんないと。
岡本さんの場合、いい編集ができたなって感じるようになったのはいつ頃からですか?
いつだろうなあ。『Gulliver』っていう雑誌がマガジンハウスから出ていて、そこの編集部に配属になった時、「キャップ」って呼ばれる3、4人のデスクのチーフ格になったんですよね。で、イタリアに取材に行けって言われて特集をつくったんです。
それまでの編集長がつくっている雑誌を僕は格好悪いと思ってたのね。体験以上の知識を増やして、高いところから読者に語り掛けてる感じがして、自分としては「そんなの嘘じゃん」って思ってるとこがあって。だからイタリア特集を任された時に、「自分は身の丈でやります」みたいな気持ちでやったことがあって、それからやっと雑誌を自分がつくってるなっていう感覚が持てたかなと思ってますね。
今聞くとすごく『relax』のつくりかたに気持ちが似てるような気がしました。
そうですねえ。さっきの、絵を上手いって言われても「適当なこと言ってんじゃねーよ」みたいな、偉い人に盾突くっていう、それはもう性格なのかもしれないけど。じゃあ「これはいい絵だ」って誰が言ってんの、っていうのが自分にとって重要っていうか。
世間的に、もしくは教科書に載ってる「いい絵」とされてるものが、果たして本当に自分がいいと思ってる絵なのかっていうのは考えちゃうところがあって。美術展を見ながら「これが好き」とか「あれがいい」とかやるんですけど、要するに趣味の違いなんじゃないのって思ったり、いやそれは間違った思い込みなのかなって思ったり、本当にいい絵がわかるってどういうことなんだろうって、ある種謎でもあるし、自分はわかっていたいからそういうことに盾突くのか、つまり憧れてるのかもっていう風にも思うんですけど。
- カワルン
- ぼくの好きなものときみの好きなものは違うよね
- クラシー
- おんなじものもあるよ~