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都市の形とデザイン
世田谷のまちの成り立ちをもう少し長い時間軸で眺めるために、いろいろな時代の地図を投影しました。世田谷区の大半は海抜高度が高く起伏の少ない平坦面ですが、会場では地形模型に地図を投影し、立体的に土地の成り立ちを展示しています。下の画像の通り、河川や水田、道など地形の特徴と各時代の要所を紹介しています。
にょきにょきと立つカラフルな紙筒。これは1988年に実施された「煙突コンペ」応募案を再現したものです。
砧にある世田谷清掃工場の煙突の建替えにあたって、その色彩デザイン案は公募されることになったのです。全国から1,040件もの提案が寄せられ、建築家の紙谷芳彦の案が採用されました。新しい煙突は1988年に完成し、30年以上経った現在も私たちの目を楽しませてくれています。
「都市デザイン」や「都市美」といったことに関心が高まっていた頃、世田谷区でも1982年に「都市デザイン室」を設立。住宅が中心で、大規模な都市開発のない世田谷区において、都市デザイン室は、建替え工事や歩道の整備など他課の情報をキャッチし、調整を買って出たそうです。そうしてより暮らしに近い空間の、小さなもののデザインへ向かいました。しかも行政側だけでつくるのではなく、住民にデザインの過程に参加してもらおうと、コンペティション形式が積極的に行われました。
この煙突コンペで採用された紙谷芳彦は、世田谷美術館を設計した内井昭蔵の建築事務所の所員で、現場から見えるこの煙突のことがずっと気になっていたとか。近年でも東名ジャンクションの換気塔色彩デザインコンクールが一般公募で行われており、まちの風景をつくるとき、住民参加の場が継続して設けられています。
- クラシー
- 人が集まる場所って地形に関係があるんだね
- カワルン
- 風景もみんなで考えてきたんだね