声をあつめています
穴アーカイブでは、映像を鑑賞して思い出したことなど、みなさんの小さな声をあつめています。
映像史上はじめてひろく普及した動画メディア・8ミリフィルムには、昭和の暮らしが記されています。市井の人々による貴重な生活記録である一方、その多くが劣化・散逸の危機にあります。2015年度より始まったアーカイブプロジェクト「穴アーカイブ」は、こうしたフィルムの収集・公開・保存・活用を進めてきました。
これまでに、およそ30名の方から8ミリフィルムをご提供いただき、そのうちデジタル化した84巻の映像をウェブサイト「世田谷クロニクル」で公開しています。2020年3月に開催した同名の展覧会では、映像とともにフィルム提供者のオーラル・ヒストリーも紹介し、また来場者自身のエピソード(声)も募集していました。
1936(昭和11)年から1983(昭和58)年にかけて撮影された84巻の8ミリフィルム。今年度も引き続き、映像をトリガーに生まれる《声》を集めています。15時間以上に及ぶ映像に映っているもの、そして映っていないものは何でしょうか。
今年度の《声》は、twitterとハガキで集めます。それぞれ詳細は下記をご覧ください。
声をあつめています
展覧会『世田谷クロニクル』を、twitterで発信します
2020年3月、穴アーカイブのプロジェクト始動から5年目の年には、展覧会『世田谷クロニクル』を開催しました。本展では、これまでにデジタル化した約15時間分の全映像を上映。また、フィルム提供者12人のオーラル・ヒストリー(口述の生活史)を、提供された無音の映像にのせてご紹介しました。
しかしながら、新型コロナウィルス感染症の影響を鑑み、残念ながら、会期途中で中止となりました。そこで今年度(2020年度)は、展覧会の場にてご紹介した内容を再構成し、twitter上であらためてご紹介していきます。展示をご覧いただけなかった方々にも、SNSでの発信を通じて映像を鑑賞いただける機会を設けます。
また会場で来場者自身のエピソードを集めて展示していた「声をあつめる」もSNS上で実施します。映像鑑賞後に、思わず人に伝えたくなるエピソードを「#声をあつめる」とタグ付けして発信してみませんか? 発信の内容は世田谷クロニクルのアカウントでもリツイートさせていただきます。
現在から過去を経由して、ふたたび現在に還ってくる。つまり、昭和という時代を、12人一人ひとりの記録と記憶をつうじて辿り直すと、見慣れたいつもの場所がどこか違って見えてきます。そんな“もうひとつの現在”を、世田谷の8ミリフィルムに探してみませんか。
世田谷クロニクル公式twitter|@ana_chro
12人のフィルム提供者のプロフィール
トキ Toki
1934(昭和9)年生まれ、85歳|世田谷区在住63年
三重県桑名市生まれ。父を3歳(昭和12年)の時に結核で亡くす。母は旧姓に戻るが、トキは亡くなった父方の姓を継ぐ。一緒に暮らす母と苗字が違うのが嫌だった。両家のおじがよく世話をしてくれた。23歳(昭和32年)で見合い結婚し、上京。翌年(33年)に長女が生まれる。平成8年、夫は定年退職まもなく病死(65歳)。戦前のフィルムは山林王として名を馳せたモロト家で働いていた母方のおじ、戦後のフィルムは夫が撮影した。しばらく家の中にフィルムが眠っていたが、区のお知らせをきっかけに提供する。現在、終活中。
マサル Masaru
1936(昭和11)年生まれ、84歳|世田谷区在住60年
山梨県甲府生まれ。在京の大学を卒業後、昭和35年(24歳)に大手映画会社に入社、企画部に在籍。平成8年に退職後、映倫(映画倫理機構)の事務局長を10年間務める。映画が大衆の娯楽として人気を博す時代からテレビが台頭する時代まで、半世紀近く映画の現場に関わり続けた。学生時代の思い出から当時の流行まで、映画にまつわる話を中心に語った。
トシコ Toshiko
1936(昭和11)年生まれ、84歳|世田谷区在住58年
千葉の大原で生まれ育った。5人きょうだいの上から2番目。姉が1人、弟が3人いる。中学卒業(昭和26年)と同時に「金の卵」として単身、池尻のとある家の家政婦として上京。その家に出入りしていた電気屋さんとのちに24歳で結婚(34年)。その夫はとても器用だった。特攻隊として戦死した兄がいた。翌35年、勤め先の家族が営む助産院で長女を産む。フィルム撮影は夫によるもの。昨年、7回忌を済ませた。現在、家政婦をしていた家の息子が独立して経営する病院の掃除係をしている。農大前のけやき広場でのラジオ体操が出勤前の日課。
タケシ Takeshi
1936(昭和12)年生まれ、82歳|世田谷区在住66年
京城府(現・ソウル)生まれ。昭和18年の秋に下関に引き揚げ、その後、福岡県・門司へ。28年の高校生の頃に父親の転勤で世田谷に移る。同じ会社に勤める女性と45年に結婚。食糧難の時代からの心得は、なんでも自分で作ること。釣り道具、自動車、子どもの玩具など、ものづくりとともに生きる半生を振り返った。
ヨシハル Yoshiharu
1937(昭和12)年生まれ、83歳|世田谷区在住78年
世田谷の駒沢病院で産まれる。世田谷の真中(まなか)に育つ。昭和17年ごろに青山に引っ越す。隣には山本五十六の邸宅があった。小学校1年の5月に山手大空襲があり、祖父が行方不明になる。その日はたまたま姉と二人で世田谷に遊びに行っていた。小学校3年生の昭和20年に秩父に疎開し、その場所で終戦を迎える。空襲や疎開先の出来事、手先の器用な父親が作ったモノの話を中心に語った。
カツトシ Katsutoshi
1943(昭和18)年生まれ、77歳|世田谷区在住77年
8人きょうだいの7番目として瀬田の農家に生まれる。カツトシは「勝利」と書く。戦争に勝つという意味。同級生の名前に「勝」という字が多かった。戦後、一面の田畑に高島屋が建ち、二子玉川ライズが建つ。小さい頃からまちの移り変わりを見てきた本人曰く「村の底地がダムになっちゃったようなもんよ。要するに、何もなくなって真っ平になっちゃった」。18歳ごろに三軒茶屋の蕎麦屋に修行に出る。45年に独立し、自分の蕎麦屋を二子玉川周辺に構える。2011年に体調を崩して店をたたみ、玉電や郷土にまつわる資料を展示する私設の歴史館をはじめた。
ヤスシ Yasushi
1945(昭和20)年生まれ、75歳|世田谷区在住72年
終戦の2ヶ月前に満州の奉天で生まれた。ヤスシのヤスは、天下泰平の「泰」。ヤスシの母は旅順で生まれ育っている。昭和22年頃に日本に帰ってくる。母が生まれ育った旅順の街に似ているという理由が決め手となり、成城での生活が始まる。「今でこそ高級住宅地というイメージも強いが、昔は東京の端っこの田舎みたいな場所だった」らしい。戦後、父は設備関係の仕事で多忙を極めた。昭和54年に結婚し、56年に長女が誕生する。提供されたフィルムには、長女のお宮参りが映っている。
アキラ Akira
1948(昭和23)年生まれ、71歳|世田谷在住歴なし、世田谷区に職場あり
5人きょうだいの4番目として横浜市磯子区屏風ヶ浦に生まれる。3歳の時に鎌倉市大船に転居。8ミリフィルムの撮影者は、貿易会社に勤めていた父親。戦前・戦中に台湾や香港に駐在していた。提供されたフィルムには、アキラの小さい頃や、父親がアメリカにて市場開拓のために1年間滞在した際の記録が映っていた。アキラも父親の強い影響を受け、長らく海外営業に携わっていた。
ユミコ Yumiko
1951(昭和26)年生まれ、69歳|世田谷区在住69年
生まれてから5年前まで、フィルムに映っている家に住んでいた。祖父は日本画家。3つ違いの姉がいる。幼稚園勤務を辞めたあとに病気を患う。入院中に読んだ新聞を読んで、点字に興味を持つ。以来、パートやボランティアとして点訳作業にながらく関わっている。2015年に父を亡くし、家を取り壊してアパートに建て替えた。その際にフィルムを見つけた。2018年に愛猫、メダカ、母親、友人2人を相次いで亡くしている。
ヨウコ Yoko
1953(昭和28)年生まれ、67歳|世田谷区在住67年
5人きょうだいの上から4番目。祖父、父ともに測量士だった。父はとても器用で、家にあった麻雀牌は父の自作(現存せず)。母も働いていたので、一番上の姉が母親代わり。小さい頃は体が弱く、自転車も家の敷地内で乗るくらいだったが、今では多磨霊園に行く時はいつもママチャリ。29歳で結婚。3人の子どもを授かる。祖父が世田谷に家を建てて以来、建て替えを繰り返しながら同じ場所に住み続けている。一番上の姉が亡くなり、家を取り壊す時に親戚が集まってフィルムを上映した。蛍を育てている。
ナギサ Nagisa
1954(昭和29)年生まれ、66歳|世田谷区在住64年
生まれは墨田区。2歳の時に世田谷に引っ越す。5歳離れた弟がいる。世田谷が宅地化していくプロセスを見てきた。高校時代は下北沢でよく遊んでいた。物書きだった父は広島出身。中学受験のために上京した雪の降る日に2.26事件が起きた。海軍将校として大和に乗る予定だったが、呉で下船命令を受けた。終戦後は同胞の復員作業に尽力する。母は下町の生まれ。戦時中は井の頭公園で竹槍の練習をしたこともある。しかし、両親から戦争の話を聞くことはほとんどなかった。
エツコ Etsuko
1955(昭和30)年生まれ、65歳|世田谷区在住59年
福岡県大牟田市生まれ。父親の転勤に伴い、6歳の頃に世田谷に移住。2011年に母と父が相次いで亡くなり、その遺品整理の際にフィルムを見つける。フィルムの劣化臭が缶の外までしていた。区報でフィルムを募集していることを知り、「何かの役に立つかもしれない」と思い、提供に至る。インタビューには、5歳違いの姉と二人で参加。
声をあつめています
2020年度〈せたがやアカカブの会〉
これまで「せたがやアカカブの会」では、ウェブサイト「世田谷クロニクル」に収録されている84巻の映像を少人数でじっくりみる、定期的な上映会を開催していました。残念ながら新型コロナウイル感染症の影響により、本年度の開催については目途が立っていない状態です。
その代わりに、ハガキを介してご自宅から参加する特別編を開催することにいたしました。今年度は2回予定しています。参加希望の方は、下記より「せたがやアカカブの会」にお申込みください。また、開催内容については、「世田谷クロニクル」のtwitterアカウントでもご紹介します。
みなさまからのお便りをお待ちしています。
せたがやアカカブの会
かつての世田谷を記録した映像を手がかりに、いま・ここにいる私たちと映像との関係を結びなおす試みです。
映像をきっかけとして紡ぎ出された記憶や想像の断片は、記録として残し、穴アーカイブの成果として公開・発表していく予定です。
開催情報は生活工房ホームページの他、メーリングリストでも配信しています。
一見さん大歓迎。皆さんのご参加をお待ちしています。
メーリングリストへのお申込み方法
件名を「せたがやアカカブの会 情報配信希望」として、
1. お名前
2. 電話番号
3. 住所
4. 動機や関心
を明記の上、 メール(info@setagaya-ldc.net)にてお申込みください。
ご連絡内容を確認し次第、担当者から改めてご連絡いたします。
また、ハガキ企画にご参加される方は、ご住所を忘れずに明記ください。
穴アーカイブ:an-archive
昭和30〜50年代にかけて、一般家庭に登場したはじめての映像メディア、8ミリフィルム。
「穴アーカイブ」は、そんな市井の人々による記録に光をあて、想起すること、想像することの価値を再発見するアーカイブ・プロジェクトです。
それはまた、記録を残すという営みを、記録の不在や欠失といった「穴」から見つめ直す試みでもあります。